彼と彼女

英語はいろいろと大変らしい。

何が大変かというと、「彼」と「彼女」の区別である。


 たとえば、chairman(議長)などのように、男性とは限らない役職名にmanが入っていると問題になるらしい。そこで、chairpersonのような造語を発明しなければならなかった。


 また、ことわざなどでも、人間一般を表すときにはhe(彼)を使っていたものが、男女の区別のないone(人)に置き換えて、
  He who laughs last laughs longest.
を、
  One who laughs . . .
と変更する、などしているらしい。


 これに対し、日本語は便利である。基本的に、男性と女性の区別を、言語形態のどこにも示す必要のないタイプの言語だからだ。
 「‥‥様」や「‥‥さん」は男女両方に使えるし、「議長」「俳優」「主人公」などの呼称も男女の区別はない。だから、英語で起こっているような問題は本質的に起こり得ないはず‥‥なのだが、例外がいくつかある。そのうちのひとつが、「彼」と「彼女」の使い分けである。
 もともと日本語の三人称代名詞は、「彼」しかなかった。現に、森鴎外の『舞姫』などでは、エリスという女性を一貫して「彼」と呼んでいる。


 では、「彼女」という代名詞はどこから来たのか。実は、英語のsheの訳語として、明治時代に作られたのである。それが、西洋文化流入とともに、これだけ一般的に使用されるようになってしまった。
 もともと「形態的に男女差別をしにくい言語」だった日本語に、わざわざこのような新語を導入してしまったのはまずかった、と私は考えるが、もちろんこれは後知恵である。当時の日本で、そのようなことを考えている人などいなかっただろうから。